2015年03月15日
船乗りの仕事。いつも通りに。
自分も船乗りになって3年目となった。
これまで何度も書いてきているが、船内のバランスは船機長によるところが大きい。
その中で仕事をする前提のもと、それぞれの役割が決まるわけだ。
船を運行するに口を出されることは当然である。
しかしそれを円滑にするには、
先ずいつも通りか。
任意の事情の何をどうしておくか。
現状把握確認できているか。
対処方法を知っているか。
その経緯と対策。
何処まで報告するか。
改めるべき事象はあるか。
を出来る限り詳細に理解している必要がある。
加えて、対外的にも関わる場合には、そのタイミングを図ることからその伝達記録方法、相互の内容確認をすることによって、ミスの防止を含む状況報告を上長、又は直接船長に伝える必要がある。
過去に起きたトラブルなどをしっかり把握していれば、そのポイントは要注意との認識で事前に調べてみることに繋がる。
直ちに対応するべきことか、他にするべきことなど優先順位もハッキリとしてくるのだ。
その把握や伝達が稚拙な状態だと任せられることはない。
この辺りは何処の世界の仕事も同様だ。
そして意外に重要なこととして下々の船員は
何処まで気が効くか。
序でに順を追って点検したり、スマートな流れで仕事を進める意識である。
これだけはそう言う意識を常に働かせていないと目が向かないことであり、また、臨機応変な対応を迫られる際には基本をしっかり知らないとそこへ辿り着かない。
兵法に
「整然と規律のとれた軍隊は、士気が高いから攻撃してはならない」
とある(原文とは少し違う)そうだが、仕事も同じ。
整然と仕上がった状態を維持することは見栄えも良く、仲間達とも良い関係を維持しやすいし何より気分が良い。
現実に「できる職人は散らかさない」というのは散々実際に見て来た。
中には自分なりに整理されていて本人だけが解読可能なロジックでする人もいるわけだが(笑)
「各自精鋭で自己判断するが全員で共有できる整然」が今後の課題である。
いつも通りを維持し続ける難しさ。
先ずは士気を高めなくては。
一番難儀な課題…(笑)
2015年03月12日
船乗りの仕事。い!…いらっしゃいませ。
フルバージョン完成しました。
船乗りの仕事 コンテナ船 内航船 Full Ver.
http://t.co/RR3pGajY43
本船は定期航路である。
週間スケジュールは基本的に変わることなく、よっぽどのことがなければ崩れることはない。寧ろ崩れそうな時は詰めに詰めて取り返し、元に戻すのだ。
最近はメンテナンス作業なんかも落ち着いてきた。午前中で終わって昼から時間が作れる時は、交代で買い物に行ったり出掛けたりすることもできるようになった。
で、今は。
正規の船長が休暇中で応援の船長と交代となっている。
荷役管理はもちろんだが、離接岸以外はすべて自分達所属船員でまかなっている。
それは航海時の船の状態をベストに近くする内容のすべて。
たまたま某港で荷役中。のんびり10時間近くかかるのと、その日はそのままそこで停泊して翌朝の出航であった。
みんな喜び勇んで作業を終えて出かけて行った。(船長も買い物ついでにゴニョゴニョ)
ところが突然、会社の部長が訪船することになった。
まだ出かけていない数人と自分を含め手薄な船内である。荷役や打ち合わせが滞ることはないが実質仕事しているのは3人のみ。
部長「おつかれ〜!キャプテンは?」
大阪人「おつかれさまです!船長はお買い物に先ほど出られて…」
部長「…。あーそれでさっき一瞬間があったわけか!(笑)」
機関長「もうそのうち帰ってくると思うんやがなぁ〜(^^;;」
なんて会話をしながらも、まぁ笑って済んだ話なのだが。
部長「たまにはこんな抜き打ちも良いね〜(笑)」
3人「」
とか言いながら直ぐに次の船の訪船に帰られたのだった。
その後船長が戻られてから訪船の件を伝えたが、他の船のついでできたんやろ〜とお気楽なことを言われてたのでまぁヨシとしよう。
ほんと気楽な…いや、なんでもない。
(笑)

船乗りの仕事 コンテナ船 内航船 Full Ver.
http://t.co/RR3pGajY43
本船は定期航路である。
週間スケジュールは基本的に変わることなく、よっぽどのことがなければ崩れることはない。寧ろ崩れそうな時は詰めに詰めて取り返し、元に戻すのだ。
最近はメンテナンス作業なんかも落ち着いてきた。午前中で終わって昼から時間が作れる時は、交代で買い物に行ったり出掛けたりすることもできるようになった。
で、今は。
正規の船長が休暇中で応援の船長と交代となっている。
荷役管理はもちろんだが、離接岸以外はすべて自分達所属船員でまかなっている。
それは航海時の船の状態をベストに近くする内容のすべて。
たまたま某港で荷役中。のんびり10時間近くかかるのと、その日はそのままそこで停泊して翌朝の出航であった。
みんな喜び勇んで作業を終えて出かけて行った。(船長も買い物ついでにゴニョゴニョ)
ところが突然、会社の部長が訪船することになった。
まだ出かけていない数人と自分を含め手薄な船内である。荷役や打ち合わせが滞ることはないが実質仕事しているのは3人のみ。
部長「おつかれ〜!キャプテンは?」
大阪人「おつかれさまです!船長はお買い物に先ほど出られて…」
部長「…。あーそれでさっき一瞬間があったわけか!(笑)」
機関長「もうそのうち帰ってくると思うんやがなぁ〜(^^;;」
なんて会話をしながらも、まぁ笑って済んだ話なのだが。
部長「たまにはこんな抜き打ちも良いね〜(笑)」
3人「」
とか言いながら直ぐに次の船の訪船に帰られたのだった。
その後船長が戻られてから訪船の件を伝えたが、他の船のついでできたんやろ〜とお気楽なことを言われてたのでまぁヨシとしよう。
ほんと気楽な…いや、なんでもない。
(笑)
2015年03月11日
船乗りの仕事。レアケース。
先日、東京湾にて荒天避難で錨泊した。
翌日嵐が去り、抜錨スタンバイの時にそれは突如として起きた。
前日から南東の風浪が強く8節いっぱいまで錨鎖を張っていたのだが朝には北東に変わっていた。走錨は無かったが錨はぐるっと回っていることになる。
巻き上げていくとなにやらアンカーにヘドロに塗れたロープのようなものが…。
ブリッジに直ちに報告してカギ竿を持ってくる。
この時点ではもうアンカーは海底から離れていることになり、船は風に流されていくため一刻を争う。
カギ竿で引っ掛けて引いてみるが動かない。アンカーを下げてみるが重くて動かない。
一旦レッコしてみて巻き上げるとヘドロが落ちてワイヤーと判明。と、同時に少し緩んだ状態に。懸命にカギ竿で手繰り放そうと試みるもやはり重い。
再度レッコしてみる。
何度かやってみるが緩んでくるものの放すまではいかない。
そうするうちに先端が見えた。それほど長くは無さそうである。その旨をブリッジに伝えると、そのまま引きずって走るからもう一方の先端を見ろとの指示。
走り出すともう一方もそれほど長くは無さそうだった。船速に流されてすぐに海面近くまで上がってきたからである。
再度ブリッジに伝えると、幸い接岸する舷側のため、接岸してからの作業で何とかなると判断してバースへと向かうことに。
荷役も数時間かかるので着けてからでどうにでもなるというわけだ。

不安は残しつつ引きずりながらの接岸を敢行。少しいつもより大回り気味で岸壁へ寄せ、注意しながら何とか接岸完了した。
荷役はすぐに始まったが、我々は全員でカギ竿やらロープなどの道具を掻き集め係船ロープにつかまってアンカーまで降りてワイヤーを解くなどの段取りを考えていた。
荷役サーベイヤー(ステべ)達も何人か見に来て、長い竿を貸してくれたりと一時騒然となった。
船長も船首まで来て見ながら陣頭指揮を執る。が、途中何やら電話で話し始めた。
電話を切ってから本当にほんの数分後、伝馬船に乗った人がアンカー付近にやってきた。
一同「え?!どこから?」
対岸でガット船が浚渫作業をしていたのだがそこから応援に来てくれたようだ。
船長が話していたのは昔の船乗り仲間だった。その人から対岸のガット船に連絡してもらい救助してもらうことができたのだ。
手馴れた伝馬船の船員はモノの5分でワイヤーを解き放してしまった。
その場でいた全員で御礼を言うと、伝馬船は手を挙げてさっさと帰っていく。
そこへ本船の船員達がロープと道具を持って戻ってきた。
「あれ?!ワイヤーは?」
「もう終わったよ」
「は?!」
となって一件落着となった。
船乗りの世界のシーマンシップ。
困った時はお互い様で助け合う。
これは本当に素晴らしいと思ったし、逆の立場になった時、何かできるならしたいものだ。
しかし何より船長の電話一本で最寄りの船に辿り着く繋がりに驚いた。
船乗りの仕事。業界は狭いのだということも垣間見れた出来事だった。
悪いことはできませんぞ!(ムックの声で)
翌日嵐が去り、抜錨スタンバイの時にそれは突如として起きた。
前日から南東の風浪が強く8節いっぱいまで錨鎖を張っていたのだが朝には北東に変わっていた。走錨は無かったが錨はぐるっと回っていることになる。
巻き上げていくとなにやらアンカーにヘドロに塗れたロープのようなものが…。
ブリッジに直ちに報告してカギ竿を持ってくる。
この時点ではもうアンカーは海底から離れていることになり、船は風に流されていくため一刻を争う。
カギ竿で引っ掛けて引いてみるが動かない。アンカーを下げてみるが重くて動かない。
一旦レッコしてみて巻き上げるとヘドロが落ちてワイヤーと判明。と、同時に少し緩んだ状態に。懸命にカギ竿で手繰り放そうと試みるもやはり重い。
再度レッコしてみる。
何度かやってみるが緩んでくるものの放すまではいかない。
そうするうちに先端が見えた。それほど長くは無さそうである。その旨をブリッジに伝えると、そのまま引きずって走るからもう一方の先端を見ろとの指示。
走り出すともう一方もそれほど長くは無さそうだった。船速に流されてすぐに海面近くまで上がってきたからである。
再度ブリッジに伝えると、幸い接岸する舷側のため、接岸してからの作業で何とかなると判断してバースへと向かうことに。
荷役も数時間かかるので着けてからでどうにでもなるというわけだ。
不安は残しつつ引きずりながらの接岸を敢行。少しいつもより大回り気味で岸壁へ寄せ、注意しながら何とか接岸完了した。
荷役はすぐに始まったが、我々は全員でカギ竿やらロープなどの道具を掻き集め係船ロープにつかまってアンカーまで降りてワイヤーを解くなどの段取りを考えていた。
荷役サーベイヤー(ステべ)達も何人か見に来て、長い竿を貸してくれたりと一時騒然となった。
船長も船首まで来て見ながら陣頭指揮を執る。が、途中何やら電話で話し始めた。
電話を切ってから本当にほんの数分後、伝馬船に乗った人がアンカー付近にやってきた。
一同「え?!どこから?」
対岸でガット船が浚渫作業をしていたのだがそこから応援に来てくれたようだ。
船長が話していたのは昔の船乗り仲間だった。その人から対岸のガット船に連絡してもらい救助してもらうことができたのだ。
手馴れた伝馬船の船員はモノの5分でワイヤーを解き放してしまった。
その場でいた全員で御礼を言うと、伝馬船は手を挙げてさっさと帰っていく。
そこへ本船の船員達がロープと道具を持って戻ってきた。
「あれ?!ワイヤーは?」
「もう終わったよ」
「は?!」
となって一件落着となった。
船乗りの世界のシーマンシップ。
困った時はお互い様で助け合う。
これは本当に素晴らしいと思ったし、逆の立場になった時、何かできるならしたいものだ。
しかし何より船長の電話一本で最寄りの船に辿り着く繋がりに驚いた。
船乗りの仕事。業界は狭いのだということも垣間見れた出来事だった。
悪いことはできませんぞ!(ムックの声で)
2015年02月20日
船乗りの仕事。一週間をぎゅーっと詰め込みました
container vessel working − weekly − short var
初の動画編集。作ってみた。
※ほぼ、素の映像でコッソリ撮ってたのだが、だんだんみんなノリノリな状態になった(笑)
http://t.co/XwjkL1vPdE
船乗りの仕事 コンテナ船 内航船 Full Ver.
完成しました。
http://t.co/RR3pGajY43
若い船員たちの活躍している様子をご覧ください。
初の動画編集。作ってみた。
※ほぼ、素の映像でコッソリ撮ってたのだが、だんだんみんなノリノリな状態になった(笑)
http://t.co/XwjkL1vPdE
船乗りの仕事 コンテナ船 内航船 Full Ver.
完成しました。
http://t.co/RR3pGajY43
若い船員たちの活躍している様子をご覧ください。
2015年02月14日
人生の航海。移りゆく季節とともに
時代の流れと共に自分もいい歳になっていくわけで。
陸上での仕事を長年にわたってやってきて船乗りになった自分ですが、最近時々感じることがある。
休暇になると、久しく会っていなかったサラリーマン時代の友人やお世話になった諸先輩方と会う機会を作る。
数年振りに再会すると皆んな環境や職場が変わっていたり、充実していたり草臥れていたり何よりも歳をとっている。
中には全く変わらないまま元気全開のオジさんもいるのだが。
そして時々聞こえてくる、関わった周りの人が病気で入院した話やまだ療養中の話。
あまり聞きたくないが、亡くなったという話。
そういう話を聞くたびに寂しく感じたり、残念な気持ちになる。
2月の自分の乗船前日に突然倒れ、亡くなった年配の船員も同様だ。
現場に居合わせた人によれば、
倒れる直前まで航海ワッチ中で、2人ワッチの相棒と会話を交わしていた。
突然静かになった直後にそのまま崩れて倒れた。
直ちに船長に緊急報告。
船長が着の身着のまま登橋、当直中の機関長と一機士にも連絡。
118緊急通報と同時にヘリ搬送要請。
電話による医療助言を受けながら懸命に人工蘇生術開始。
約一時間後、ヘリ到着。
AED装着しヘリ搬送。
しかし搬送先の病院でそのまま息を引き取られた。
自分の所属船では一番の年配者で、本当によく仕事をされる大先輩だった。
まだ船乗りになって日の浅い自分も色々とアドバイスをもらったり、その仕事ぶりを見て学んだ。
パチンコが大好きで若い船員達と繰り出して出かけ、また割と強かったようだ。
若い船員達と飲みにも出かけ、船内でも一緒に本当に楽しそうに仕事をされていた。
思えばいつもニコニコしておられたのが印象的で、部屋から漏れるテレビの音が今でも聞こえてきそうなのである。
まだまだ聞きたいことや教えてもらいこともたくさんだった。
何よりあまりに突然のことで残念でならない。
でもいつかはそんな日が来る。
周りの誰かもそうだが自分もである。
その時に悔いのないように精一杯生きよう。
やり尽くしておかないとな。
健康に気をつけないと。
病気もだが船上の仕事である限り怪我も気をつけなければ。
誰かに怪我をさせるわけにもいかない。
というようなことを時々考えるのだ。
若い時はそんなこと気にもしなかったが、現実に関わった周りの人たちから感じさせられる。
改めて
お悔み申し上げ御冥福をお祈りします。

陸上での仕事を長年にわたってやってきて船乗りになった自分ですが、最近時々感じることがある。
休暇になると、久しく会っていなかったサラリーマン時代の友人やお世話になった諸先輩方と会う機会を作る。
数年振りに再会すると皆んな環境や職場が変わっていたり、充実していたり草臥れていたり何よりも歳をとっている。
中には全く変わらないまま元気全開のオジさんもいるのだが。
そして時々聞こえてくる、関わった周りの人が病気で入院した話やまだ療養中の話。
あまり聞きたくないが、亡くなったという話。
そういう話を聞くたびに寂しく感じたり、残念な気持ちになる。
2月の自分の乗船前日に突然倒れ、亡くなった年配の船員も同様だ。
現場に居合わせた人によれば、
倒れる直前まで航海ワッチ中で、2人ワッチの相棒と会話を交わしていた。
突然静かになった直後にそのまま崩れて倒れた。
直ちに船長に緊急報告。
船長が着の身着のまま登橋、当直中の機関長と一機士にも連絡。
118緊急通報と同時にヘリ搬送要請。
電話による医療助言を受けながら懸命に人工蘇生術開始。
約一時間後、ヘリ到着。
AED装着しヘリ搬送。
しかし搬送先の病院でそのまま息を引き取られた。
自分の所属船では一番の年配者で、本当によく仕事をされる大先輩だった。
まだ船乗りになって日の浅い自分も色々とアドバイスをもらったり、その仕事ぶりを見て学んだ。
パチンコが大好きで若い船員達と繰り出して出かけ、また割と強かったようだ。
若い船員達と飲みにも出かけ、船内でも一緒に本当に楽しそうに仕事をされていた。
思えばいつもニコニコしておられたのが印象的で、部屋から漏れるテレビの音が今でも聞こえてきそうなのである。
まだまだ聞きたいことや教えてもらいこともたくさんだった。
何よりあまりに突然のことで残念でならない。
でもいつかはそんな日が来る。
周りの誰かもそうだが自分もである。
その時に悔いのないように精一杯生きよう。
やり尽くしておかないとな。
健康に気をつけないと。
病気もだが船上の仕事である限り怪我も気をつけなければ。
誰かに怪我をさせるわけにもいかない。
というようなことを時々考えるのだ。
若い時はそんなこと気にもしなかったが、現実に関わった周りの人たちから感じさせられる。
改めて
お悔み申し上げ御冥福をお祈りします。
2015年02月11日
船乗りの仕事。基本と新たなステージへ
今回の休暇は、自分の健康を顧りみてまた元気に乗船するという大義があった。
身体が資本という大前提は、船上で仕事をするためには最重要課題である。
加えてこの休暇中に、所属船内での重要な人事的変化があることが決まっていた。
そのため、乗船すればその分担を再構築して改めて安全に航海できるようにする必要があった。
人は慣れると気が抜けて、分かっていることなんかは手順を省略していくものである。
気が抜けついでに、ぼーっと結構重要なこともすっぽかしてしまう。
船上に於いては、そんな状態では咄嗟の事態に対応できなくなる。
係留ロープの状態
道具の状態
船体の状態
海図を見ること
航海計器の状態
他の船舶の動向と自船の状態
書類の整備
他にも上げればキリがないが、どれを取っても最低限の基本に基づいて確認が必要なことである。
休暇明けには特に、まだ仕事モードに体が切り替わりきらず動きも鈍る。
なので一つ一つを丁寧に確認しながらしっかりと全体を把握する必要がある。
自分は休暇明けに横浜で乗船予定だった。
船員手帳の健康診断の期限が次の乗船中に切れるため、健診を受けるためホテルを取って1日早く現地に向かう途中の新幹線の中。
気持ちを仕事モードに切り替えるためいろいろチェックする内容を考えていた。
そんな所に船長からの電話が鳴った。
船長「○○さんが亡くなった」
自分「え?!」
船長「今朝、ワッチ中に倒れて云々〜」
話を聞きながら暫く理解に時間がかかった。
船長「悪いけど今日健診終わったら乗ってくれ」
自分「は…はい、了解しました。急いで向かいます」
そこからはもう、とにかく急いで(と言ってもまだ新幹線の中。新幹線があんなに遅く感じたことは無い)健診を受けタクシーで港へ向かう。
ちょうど同時に会社から部長も船に到着。
ある程度の内容を聞き、しかしその日にも荷役があったので早速その準備に取り掛かる。
自分は現場にはいなかったので動揺はまだ少なく、その日の予定を確認して段取りを決めていく。
仕事はそんなことがあったからといって失敗を大目にみてはくれない。逆に言えばいつも通りに進め仕事を滞らせるわけにはいかない。
そんなこんなでその日は少しバタつきながらも、何とか熟しきることができた。
しかし時間が経つごとにいろいろとこみ上げてきて…
亡くなられた方には心からお悔みとともに、御冥福を御祈りします。
2015年01月02日
船乗りの仕事。俺らの船は空を飛ぶ。
怒涛の如し一年が過ぎ、振り返れば本当にいろいろなことがあり、今となってはみんなで酒の肴にして笑って話せる。
力み過ぎて砕けた奥歯。
体が大き過ぎて制服のサイズが足りず留められないボタン。
接岸が不甲斐無い仕事ぶりで険悪なムードとなってとばっちりだった初乗船。
酔って変なテンションになりビンタし合う2人。
どれだけ怒られてもめげない(through力!)鋼の心臓を持つ勇者。
巨人(1.8m級)を見上げ慄く勇者。
停泊シフト綱引きで力尽きた40代。
連続シフト荷役で力尽きた40代。
若い集とはしゃぎ過ぎて体力の衰えを再確認できて力尽きた40代。
接岸停泊中に吹雪いて真夜中に船が離れて大慌てしたこと。
大雪で接岸作業中甲板が凍結しみんな転げ回って大変だったこと。
ケアラシで見えない岸壁。
届かないレット。
そのせいで届くまで車から出てこない綱取り。
仮バースでのパチンコ大勝ち武勇伝。(勝った話しは大きい)
披露できなかった余興。
に至るまで、他にもまだまだ様々なことがあった。
その一つ一つの積み重ねは、基本の熟し方として経験となり次の礎となる。(ならないものも(笑))
それを目の当たりにして皆んながガンバって、それぞれの成長があった。(確信)
そんな内容の濃い一年を過ごせた。
2015年は、どんな伝説が生まれるのか。
年末、どんな風に皆んなで笑えるのか。
これはハッキリ言えるが、船・機長の器の大きさは船員の成長を加速させる。
そこから先は、要領と応用するセンスの世界。
頭打ちで限界を知るのも認めるのも大事なこと。
怪我無くいつも通り。
変化に備えて知っておく基本。
皆んな見てる。一緒にやる。
船乗りってこんな仕事です。
2015年01月01日
謹賀新年。2015年。始まりました。

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m
2014年12月19日
船乗りの仕事。業務と福利
今回は少し、船乗りのメリットについて。
デメリットはこの内容の裏側を洞察して頂きたい。
通勤
1分(自宅から乗船地、港までは適宜で交通費全額支給だが乗ってしまえば部屋から現場まで階段のみ)
航海(基本。細かい規定は割愛)
甲板部三交代制(当直は各担当4時間2クール)
0-4 二航士
4-8 一航士
8-0 船長
機関部6時間二交代制(出航時間から。うち2時間は休憩)
※高度船舶導入船は2人で8時間勤務となり夜間は休憩
航海開始が例えば、14時出航ならば、
甲板部は0-4の当直者が16時までを担当。
機関部は14時からの6時間で交代となる。
※高度船舶導入の機関部は17時閉店。
※離接岸時は全員、錨泊作業は当直者及び船長。
作業(航海とは別に行うもの)
朝8時から昼3時くらいまで(最大としている。大抵昼までだが船による)
内容
維持、保守、その他全般(船体ペンキ塗り、ロープの手入れ、加工、清掃など)
残業手当
会社規定による。組合船などは8時間を超えて業務に携わる場合、残業手当が付く(らしい)
生活
冷暖房、BSテレビ、録画再生機完備完全個室。
光熱費不要。
消耗品支給(ティッシュ、石鹸、トイレットペーパー、シャンプーなど)
食事付き(各自食料金が支給され材料仕入れて作る。米や調味料は共同購入。または船舶調理師が作ってくれる)
嗜好品(タバコや酒は基本自己負担)
福利としてNET環境、Wi-Fiが設置されている船もある(皆んなで使うので必然的にトラフィック負荷が重くなる)
娯楽は各自持ち込みなど。基本的に各自室の設備を追加設置は自由。
休み(給料は支給される)
会社規定による(年間休日として3ヶ月/1ヶ月や2ヶ月/20日などで休暇中は基本給のみの会社もある。余りは翌年繰越で休める)
その他の休み
ひと月に1回から2回ほどの仮バースがあり、上陸して出かけることができる(上長によるが仮バース時に作業することもある)
※この休みは補償されていないため無い船は滅多にない。
病気、怪我
これは無いに越したことはないが、緊急を要する場合というのはどうしても発生するものだ。
乗船中の怪我は労災保険が適用される。
また、頭痛や風邪などは船内に備え付けの常備薬で対応できる。
脳卒中や心筋梗塞など重大な疾病の場合には、無線による医療助言を受けたり(現在では医療機関との電話で対応することになっている)緊急接岸して救急搬送することもある。
もっと可及的速やかに搬送する必要がある場合は保安庁のヘリを要請する。
緊急ではなく休暇中に治療出来る疾病や故障の場合、療養証明書を会社から発行してもらい治療することができる。船員保険により最大3ヶ月間、入院や手術に至るまで医療負担は全額補償される。
他にも資格取得の負担を会社が持って、取得手当が支給されることもある。
これらが手厚いと思う方もあれば、やっぱり家に帰れないのが痛いと考える方もあるだろう。
会社によって規定や捉え方も様々なので一部違うこともある。
その辺はよく話を聞いて確認されることをお勧めします。
2014年12月13日
船上生活。自分の常識他人の非常識。
自分は40歳の手前で一念発起して船乗りとなったのだが、早くも船員手帳には経歴が4つの船で記載されている。
と言っても、同じ会社内での転船履歴がほとんどで、新6級海技士の航海実習を含めると5つ目の船。
そしてもちろん各船の船長、機関長、船員はそれぞれであり、関わる人を含めると延べ数十人と出会い、同じ釜の飯を文字通り食べてきたわけである。
過去の記事にも書いたが、船の中で一緒に生活をするということはほぼ、自分というアイデンティティを曝け出して過ごすこと。
その個性がある程度船の中で認められコミュニティーとして成り立たなければ、快適な船上生活にならなくなる。
船に乗り始めは掃除が主な仕事として与えられ、他の仕事はその船でのやり方に沿って…もっと言えば、その船に乗るその他の人の好みに合わせてするのがセオリー。
仕事はさておき、生活となるとプライベートな個性が剥き出しとなるわけで、その他の全員から見られている。
いや、実際に監視されているわけではないが、言動などから人となりが見えてくるわけだ。
で、悪く言えば気にくわないと小言を言われたりする。
自分はさすがに余り言われることはない(いい歳ですからねぇ)のだが、何度か変な言いがかりをつけられたことがある。
朝それで良いって言ってたのに夕方ダメだやり直せとか(笑)
言ってくる人は一貫性の無いダブスタだったのだ。
気をつけないといけないのはこう言うダブルバインドに嵌められること。こういう事案が続くとこちらの思考を停止させられてしまう。
インパクトのある正反対の命令や、感情的な関わりで無意識にコントロールされていくことで気が病む。
対策としては、
なぁにそのうち免疫がつく。
ではなく、何もかもを真面目に聞き入れ過ぎずある程度スルーすること。そしてその案件を他の船内の誰かにも話して聞いてもらうこと。
船内にいないなら会社にでも。
それによって理解してくれる人があれば逃げ道が出来る。
船内の事案は船内で収めるのがベスト。
究極は船から降りるという選択もある。
しかし、くれぐれも無断で船から逃げ出して音信不通にならないように…。
※2014年11月に新人が無断で逃げ出して保安庁や警察沙汰になる行方不明騒ぎがあった。
船に乗ってすぐの新人は、先ず仕事を覚えることが一番。その姿勢による見られ方をする。下手は良いが雑はダメ。それだけですべてを否定される場合もある。
しかし!
受け身ばっかりではない。
こっちも「見ている」一人なのである。
ちゃーんと見てるぞ!(笑)